指導と暴行(暴力)

先日、県内の高校で、保護者による暴行事件がありました。

報道によると、次のような事実経過があるようです。

柔道部の見学のため学校を訪れた40代半ばの保護者の男性に剣道部員が挨拶をすると、その態度が武道をする者としてふさわしくないとして、部員15人に対しておよそ20分間強い口調で叱責。男子部員2人は、保護者の男性に防具をつけさせられて、面や胴を何度も足で踏みつけられた。

保護者は「暴力ではなく、武道の指導だった」と話していて、女子部員1人が恐怖のため過呼吸になったことから、「やりすぎた」とも話している。

別の報道では、剣道部員は帰宅準備中であり、当該保護者は、「『道』に携わる者は道場内で笑っている、歯を見せているというのが私の中で許せなかったんだと思う。ただ今思えば言動も含め行動は行き過ぎた内容だったと思います。」などと説明しているとのことです。

暴行をし、時にはその結果傷害を負わせた加害者が、しつけや指導であったと弁解することは珍しくありません。

多くの方は、そのような弁解は通用しない、と考えるでしょうが、それをうまく言語化できるでしょうか。

【暴行とは】

暴行罪(刑法208条)にいう「暴行」とは、「有形力の行使」と定義されています。

もっとも、形式的に「暴行」の定義に当てはまっても、挨拶目的で軽く肩を叩いたりするなど、社会通念上「暴行罪」を成立させるべきでない行為もあります。そのため、暴行罪の成立要件には「不法な」(不法性)という絞りがあると言われたりします。

「不法性」が認められるか否かは、行為の目的、行為当時の状況、行為の態様、被害者に与えられた苦痛の有無・程度等を総合して判断されると解されています。

ただ、実務的には、「不法性」が刑事裁判で争いになることはほとんどありません。そのような事案は検察官が起訴しないからです。

【否認?】

さて、しつけや指導だという弁解は、まず、不法性が認められず、暴行罪は成立しない、という主張と理解できます。

このような主張であれば、法的には、無罪を主張していることになります。

この主張に対しては、基本的には、言語によるコミュニケーションの方がよほど教育的効果があるのであって、その有形力の行使による教育的効果は乏しい、むしろ、肉体的・精神的苦痛を与えることにより、その子の生活あるいは人格形成に支障を生じさせるという弊害の方が大きい、との反論があり得るでしょう。
暴行の程度や態様によっては、明らかにこの反論が妥当する事案も多いでしょう。
客観的に、しつけや指導の範囲を明らかに逸脱している、ということです。

もっとも、実務上、しつけや指導だという弁解は、暴行罪の成立を否認しようとするものではなく、有利な情状(刑を軽くする理由)の1つとして主張されているに過ぎないと思われます。
客観的には暴行に該当するし、自分の行為を認識してもいる(故意がある)ことは認める、しかし、しつけや指導のつもりだった、悪意があったわけではない、ということです。

【有利な情状?】

では、しつけや指導のつもりだった、という内心を、有利な情状として考慮すべきでしょうか?

そもそも、しつけや指導のつもりだった、というのは、どのような内心の状態をいうのでしょうか?

1つ考えられるのは、暴行にも教育的効果があると信じており、自分の暴行によりその子が成長できると考えている、という理解です(自分もしつけや指導と称して暴行を受けた経験があり、それにより自分も成長できたと信じている可能性もあるでしょう)。

加害者によくよく問いただすと、そのような説明をするかもしれません。

しかし、本当に、教育的効果を狙って暴行しているのでしょうか?

自分がその子を教育すべき立場にあり、言語によるコミュニケーションを試みたが、それでは効果が得られないので、熟慮の上、(本当は暴行したくないけれども)やむを得ず暴行した、あるいは言語によるコミュニケーションを試みる余裕もないほどの緊急性があった、という事情があるのでしょうか?

自分よりも体が大きかったり力が強い子に対しても、同じように暴行するのでしょうか?

私は、基本的には、客観的にしつけや指導の範囲を明らかに逸脱する暴行が行われた場合、「しつけや指導のつもりだった」というのは後付けに過ぎず、自分の怒りの感情を、(場合によっては自分の地位を利用して)暴行によって発散させようとしただけ(怒りの感情にまかせて暴行しただけ)と考えるべきだと思います。
客観的にしつけや指導の範囲を明らかに逸脱していながら、怒りの感情はなく、本当に教育的効果を狙って暴行しているとケースはほとんど想定できない、少なくとも、そのように認定できることは極めて稀だと思います。

【裁判例】

「暴行」と「指導」で裁判例を検索したところ、いくつかの地裁判決が見つかりましたが、次の判決が、指導目的という弁解を的確に排斥していると思います。

2021年2月5日の神戸地裁判決

被告人は、体格が劣り、柔道の初心者である被害者らに対し、立て続けに柔道の技をかけ、Aに対しては、Aが逃げ出そうとしても引き戻して暴行を加え、意識を失っても起こして更に暴行を加え、Bに対しては、BがAが暴行を受ける様子を目の当たりにして恐怖で道場の壁際にしがみついていたのに、無理矢理床に寝転ばせ、上から押さえ込み、Bが一度抜け出しても再び押さえ込む暴行を加えたりするなどしており、各暴行の態様は危険かつ執拗である。被害者らは信頼すべき教師から突然暴力を受け、重傷を負うなどして肉体的苦痛を受けるのみならず、強い精神的苦痛を受けており、同人らの学校生活への影響は大きい。
被告人は、被害者らを指導する必要があると思ってやってしまった旨述べる。しかし、被害者らは被告人の追及を受けてアイスクリームを無断で食べたことを認めたのであるから、対話を通じて内省を促すなどの方法により指導を行うことができたにもかかわらず、ただ繰り返し被害者らに柔道の技をかけたもので、そのような行為に何ら教育的効果はなく、同行為は身体的な苦痛を与える体罰にほかならない。そして、被害者らが事実を認めたり、謝罪をしても、執拗に暴行を行っていたことからすれば、被告人は、単に被害者らを許せないという怒りの感情を爆発させ、その勢いのままに暴行を行ったものといわざるをえず、その経緯に酌量の余地はない。

 

なお、本件に関しては、県知事が、「決して暴力は勧められることではないが」と断りつつも、「学校に対する情熱のあまりの行動だったと思っている」、「熱意がちょっと出過ぎてしまったのかなと思う」と述べたとのことです(2021年7月15日の定例会見)。

しかし、「防具を付けさせて何度も面や胴を踏みつけた」という行為のどこに教育的効果があるのでしょうか? この保護者は、このような行為をされた彼らが被る肉体的・精神的苦痛を想像したでしょうか? 怒りの感情はなかったのでしょうか? 高校の部活で剣道をしているに過ぎない彼らにとって、帰宅準備中に、道場内で歯を見せて笑うことは、そこまで不当な振る舞いなのでしょうか? もし不当な振る舞いだとしても、口頭による注意で済ませることはできなかったでしょうか? この保護者は剣道部の指導をすべき立場にあるでしょうか?

冒頭の報道の通りの事実関係を前提とすれば、今回の暴行が客観的に指導の範囲を逸脱していることは明らかであって、「熱意の出過ぎ」などではなく、「怒りの感情の発現」に過ぎないと思います。上記判決のように、「その経緯に酌量の余地はない」と解すべきでしょう。

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