最近、芸能人や著名人が名誉を侵害されたとして訴訟を提起した、請求を認める判決が出た、あるいは請求を棄却する判決が出た、などといった報道をよく目にします。
しかし、報道では、判決のごく一部が抜き取られているだけなので、何が争点となり、裁判所がどのような理屈でそのような判決をしたのかは、よくわからないのではないでしょうか。(以下の記述は、専ら民事の問題を念頭に置いています。)
【「名誉」「毀損」とは何か】
訴訟は、原告が、被告により名誉が毀損されたと訴えることから始まるのですが、そもそも「名誉毀損」とはどのようなことをいうのでしょうか。
「名誉」とは、その人の社会的評価だとされており、本人の感情(名誉感情)とは区別されています。
「毀損」といっても、実際に社会的評価が低下したかどうかは検証困難なので、実際には、社会的評価を低下させるような行為(表現)がなされれば足りるとされています。
その表現が社会的評価を低下させるものかどうかは、一般の読者・視聴者の受け取り方を基準に判断されます。
例えば、「夕刊フジ」が訴えられた事件(問題となったのはウェブサイト上の記事)で、
原審(東京高裁1995.10.19)は、当該新聞が通勤途上の会社員などを対象として専ら読者の関心を引くように見出し等を工夫し、主に興味本位の内容の記事を掲載しているものであって、そのような記事については一般読者もそのような娯楽本位の記事として一読しているなどとして、社会的評価の低下を否定しました。
これに対し、最高裁は、
「当該新聞が主に興味本位の内容の記事を掲載することを編集の方針とし、読者層もその編集方針に対応するものであったとしても、当該新聞が報道媒体としての性格を有している以上は、その読者も当該新聞に掲載される記事がおしなべて根も葉もないものと認識しているものではなく、当該記事に幾分かの真実も含まれているものと考えるのが通常であろうから、その掲載記事により記事の対象とされた者の社会的評価が低下させられる危険性が生ずることを否定することはできない」
としています(最高裁1997.5.27)。
社会的マイノリティであることを示された場合に名誉毀損が成立するかどうかは見解が分かれています。
「ホモ社長」という言葉が使われた件で、
「現在の日本社会においては、同性愛者、同行為を愛好する者に対しては侮蔑の念や不潔感を抱く者が少なくない」、「このような状況において、Xがかかる嗜好を持つ者と誤解されることはXの社会的評価を低下させる」と判示した裁判例があります(東京高裁2016.10.18)。
他方、父親が被差別部落の出身であることを部落解放運動団体の機関誌の記事にされた件で、
X(小学校教諭)の「職責を遂行能力や資質を判断するに際して考慮されるべきでない私的事項であり、Xに対する社会的評価を低下させる性質を持つものということはでき」ないとした裁判例があります(高知地裁1992.3.30)。
本来は社会的マイノリティであることを示されても社会的評価が低下しない社会が望ましいはずですが、現に社会的マイノリティに対する偏見が存在し、社会的マイノリティに属することが示されると社会的評価を低下させられるという状況では、名誉毀損で保護すべきとも考えられます。
一方で、裁判所が名誉毀損=社会的評価の低下を認めることが、社会の偏見の維持に繋がりかねないという懸念があります。そのため、裁判所は、あえて、社会的評価が低下していると認定すべきではない、という考え方もあり得るでしょう。この考えでも、プライバシー侵害を認めることは可能です。偏見を持たれている状況では、社会的マイノリティに属することは秘匿したい情報に当たるからです。しかし、プライバシー侵害として訴えると、それ(上記の例では、同性愛者であることや父が被差別部落出身であること)を自認しているように周囲には受け取られる可能性があり、それには抵抗もあるでしょう。
非常に悩ましい問題です。
【例外的な免責】
名誉毀損に該当する表現は、(証明可能な)事実を示すタイプと、事実を基に意見や論評を表明するタイプとがあります。前者を事実摘示型、後者を意見論評型と言っています。
事実摘示型の例は、
「銀行員Aは、勝手に顧客の名前を使って虚偽の書類を作成し、上司の承認を得て、金を引き出し、買い物や海外旅行に費消した」と指摘するもの
意見論評型の例は、
(Aの「(中華民族は)民度の低い哀れむべき方々」、「韓国は、ゆすりたかりの名人」との発言を基に)「Aは人種差別主義者だ」と評するもの(後述のとおり実際に訴訟で問題になった表現です)
などです。
事実摘示型では、以下のAからCが認められれば、被告は免責されることになります。
- 示された事実が公共の利害に関する事実に係ること(公共性)
- 専ら公益を図る目的でなされたこと(公益目的性)
- 示された事実が真実であること(真実性)(※1)
又は
示された事実が真実であると信ずるについて相当な理由があること(誤信相当性)
意見論評型では、以下のAからDが認められれば、被告は免責されることになります。
- 意見・論評が公共の利害に関する事実に係ること(公共性)
- 意見・論評の表明が専ら公益を図る目的でなされたこと(公益目的性)
- 意見・論評の前提としている事実が重要な部分について真実であること(前提事実の真実性)
又は
意見・論評の前提としている事実が重要な部分について真実であると信ずるについて相当の理由があること(前提事実の誤信相当性) - 意見・論評としての域を逸脱していないこと(※2、3)
※1 真実性が認められれば違法性がなく、誤信相当性が認められれば故意過失がないとされています。
※2 基礎となった事実からして意見・論評が合理的であることが要求されるか、は一つの問題です。例えば、歩行者が赤信号を無視して横断したことに対し、「遵法意識が全くもって欠落している」という意見・論評は言い過ぎのように思います。最高裁は、「ドロボー」等の表現が問題になった事件で、意見・論評の自由が「民主主義社会に不可欠な表現の自由の根幹を構成するもの」であることから、意見・論評の内容や合理性を特に問わない、とした上で、結論として意見ないし論評としての域を逸脱していない、と判示しています(最判2004.7.15)。「ウソつき常習男」といった表現が問題になった件では、「いささか品のない表現であるとの感はある」と断りつつも、意見・論評としての域を逸脱していない、とする裁判例があります(東京高裁2012.12.25)。意見の当否について明確な判断基準がないことや事実が示されていれば後は受け取る側がその意見・論評の当否を判断すればよいことなどが理由として考えられるでしょう。他方、「意見ないし論評の逸脱性を判断するに際しては、当該表現が人身攻撃に及ぶ内容か否かを考慮すべきことは、当然であるが、そのことと併せて、その意見ないし論評の内容が不合理か否かといった点も斟酌すべきである」とする裁判例もあります(東京高判2015.2.5)。
※3 被告が「意見・論評としての域を逸脱していないこと」を立証するのではなく、原告が「意見・論評としての域を逸脱していること」を立証すべきとする見解もあります。
免責されるためにA)公共性とB)公益目的性が必要とされているということは、これらを充たさない私的な市民生活上の行状については、仮にC)真実性または誤信相当性を充たしたとしても免責されないということを意味します。つまり、真実あるいはそう信ずるについて相当の理由がある場合であれば何でも免責されるわけではないということです。例えば、女優「大原麗子」さんの近所づきあいに関する言動に関する週刊誌「女性自身」の記事が、A)公共性とB)公益益目的性を充たさないとして名誉毀損が認められた例あります(東京高判2001.7.5)。
事実を示すタイプ(事実摘示型)や事実を基に意見や論評を表明するタイプ(意見論評型)のいずれでもなく、事実を基にしないで意見や論評を表明するタイプ(純粋な論評型)について、どのように考えるべきかは、最高裁判例がありません。
これについては、事実を基にしていないのであれば(匿名であれば尚更)、意見・論評を受け取る側も真面目に受け取らない(社会的評価もあまり低下しない)と考えれば、名誉毀損の成立に消極的になるでしょう(※4)。
他方、事実を基にしない意見・論評は無責任な表現であって保護する必要に乏しいと考えれば、名誉毀損の成立に積極的になるでしょう。
定まった考え方はありませんが、意見論評型について判断を示した最高裁判例を参考に、人身攻撃に及ぶなど意見・論評としての域を逸脱した場合には名誉毀損が成立する(このような場合には、そもそも意見・論評の表明とはいえない、単なる人身攻撃にすぎない)、とする考えが有力なようです。
※4 刑法には名誉毀損罪と侮辱罪がありますが、前者は公然と事実を示して名誉を毀損する場合、後者は公然と事実を示さないで名誉を毀損する場合とされています。事実を示す場合の方が被害者のダメージが大きいと考えられるため、名誉毀損罪の方が重く処罰されます。
【最近の例】
【真実性が認められたケース】
ジャーナリストの伊藤詩織氏が元TBS記者の山口敬之氏から合意なく性行為をされたとして、慰謝料を求めて提訴したのに対し、山口氏が、伊藤氏の著書などで被害を公表したことによって名誉を傷つけられたとして、慰謝料等を求めて提訴(反訴)した事件。
東京地裁は、「酩酊状態にあって意識のない原告に対し、合意のないまま本件行為に及んだ事実」が認められるとして、伊藤氏の請求を認め、他方、山口氏の請求を棄却しました(2019.12.18)。
真実性が認められて、免責が認められたケースです。
双方が控訴しましたが、東京高裁が、伊藤氏の請求を認めたようです。ただ、一審と異なり、山口氏の請求も一部認めたようです(2022.1.15)。
双方が上告しましたが、いずれも退けられ、高裁判決が確定したようです(2022.7.7)
【誤信相当性が認められたケース】
元朝日新聞記者の上村隆氏が、従軍慰安婦についての記事を、論文で「捏造」「意図的な虚偽報道」などと評した櫻井よし子氏らに対して損害賠償請求をした事件。
札幌地裁(2018.11.9)、札幌高裁(2020.2.6)は、いずれも誤信相当性が認められるとして、請求を棄却しました(2020.11.18に最高裁が上告棄却)。
裁判所は、櫻井氏の示した事実や論評の基とした事実が真実であると認定したわけではないことに注意が必要です(歴史認識が絡む問題について、裁判所も踏み込んで判断できないでしょう)。
【真実性、誤信相当性のいずれも認められなかったケース】
お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光氏が、日本大学芸術学部に裏口入学したとする週刊新潮の記事で名誉を毀損されたとして、発行元の新潮社に損害賠償等を求めた事件。
東京地裁は、名誉毀損を認めて同社に440万円の支払いとインターネット上の記事の削除を命じる判決を言い渡したとのことです(2020.12.21)。
真実性も否定され、裏付け調査も不十分であるとして誤信相当性も否定されたようです。
【富山県に関係するごく最近の判決】
富山県朝日町教育委員会が、中高生らを対象とした講演会に政治評論家・作家の竹田恒泰氏を講師として招こうとしていたところ、2019年11月、紛争史研究家の山崎雅弘氏が、「(中華民族は)民度の低い哀れむべき方々」、「韓国は、ゆすりたかりの名人」といった竹田氏の著作や講演会での発言等から、「町内の中・高生に自国優越思想の妄想を植え付けさせる」、「この人物が教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯の差別主義者だとすぐわかる」などとツイッターに投稿したことから、竹田氏が損害賠償等を求めて提訴した事件。
東京地裁は、まず、山崎氏の投稿は、いずれも、竹田氏が教育委員会主催の講演会の講演者として不適格であるという批判的意見ないし論評を表明するために、竹田氏の過去の言動を前提として、竹田氏の思想が差別主義的であり、これに基づく発言等が常習的な人権侵害に該当するとの批判的意見ないし論評を表明したものである、などと認定しました。
そして、山崎氏の投稿は、事実を摘示するものではなく意見ないし論評である(意見論評型)と認定しつつ、それが竹田氏の社会的評価を低下させるものであると認定しました。
その上で、A)公共性、B)公益目的性、C)真実性ないし真実相当性、D)論評の限界について、次の様に判断し、竹田氏の請求を棄却しました(2021.2.5)。
A)本件の講演会のような教育委員会主催の講演会の登壇者の適格性は、一般に社会的関心事の高い事項である→肯定
B)教育委員会が学校教育を通じて人権侵害や人種差別の解消を目指して啓蒙すべき立場にあることから、本件講演会の開催に反対する趣旨での投稿である→肯定
C)過去のツイートのみならず著書等を含むその言動の全般が前提事実となり、その重要な部分について真実であると認められる。竹田氏は、著書は中国人や韓国人一般をその一事をもって単純に蔑視するものではない、ネット公演は日本の若年層の愛国心の低下を危惧し、愛国心の向上を目的として行ったものである、などと主張するが、「中国人に付けるクスリはない」「民度の低い憐れむべき方々」などの記載から、自国を優越的に捉えた上で、他国民・他民族を劣位に置き、「笑い」の対象とする意識が看取されるものというほかない。→肯定
D)竹田氏は、日本の文化や政治体制を称賛し、日本国民の愛国心を強調する一方で、中国人及び韓国人についてその文化的成熟度や「民度」が低い旨等を繰り返し主張しているもので、このような竹田氏の思想を「自国優越思想」と表現することは論評の域を逸脱するものとはいえない。竹田氏の著作等から、竹田氏の思想が「差別主義的」とする論評にも相応の根拠がある。「人権侵害常習犯の差別主義者」等の表現は、穏当さを欠き、誇張した表現ではあるが、いたずらに原告を揶揄し、侮蔑するような表現にわたっているとまではいえない。→論評の範囲を逸脱していない
竹田氏が控訴していましたが、棄却されました(東京高判2021.8.24)。
竹田氏が最高裁に上告していたようですが、棄却されたようです(2022.4.13)。
【何を請求できるか】
【損害賠償】
名誉毀損が認められれば、それによって生じた損害の賠償を請求できます。
名誉毀損表現のために売上が減少したなどの経済的損害の立証は困難なため、慰謝料だけを請求することも多いと考えられます(被害者が法人の場合、精神的損害を観念できないため慰謝料は発生しないが、「無形の損害」が認められるとされています)。
慰謝料は、一時期は増額傾向にあったようですが,近時は100万円が目安になっているようです(マスメディアによらない名誉毀損の場合には更に少額のようです)。
【名誉回復措置】
民法上、名誉が毀損された場合、名誉を回復するのに適当な処分を請求することができるとされていますが(723条)、必ず認められるわけではありません。
ウェブサイト上の記事等の場合、削除は比較的容易に認められるようですが、謝罪広告はなかなか認められないようです。
太田光氏の訴訟でも、ウェブサイト上の記事の削除は認められましたが、謝罪広告までは認められなかったようです。
【差止め】
出版、販売等の前にその差止めを請求することも可能ですが、表現の自由に対する強い制約となるため、真実性や公益目的性が認められないことやその表現により重大かつ著しく回復困難な損害を被ることを立証しなければならず、かなりハードルが高いとされています。
近時、匿名掲示板やGoogleマップの口コミなどのウェブサイト上の書き込みの削除請求の可否がよく問題になります。これについては、出版、販売等の差止めよりも緩やかに認められています。